平敦盛 - Wikipedia: "生誕 嘉応元年(1169年 )死没 元暦元年2月7日(1184年3月20日)
笛の名手であり、祖父平忠盛が鳥羽院より賜った『小枝』(または『青葉』)という笛を譲り受ける。
平家一門として17歳で一ノ谷の戦いに参加。源氏側の奇襲を受け、平氏側が劣勢になると、騎馬で海上の船に逃げようとした敦盛を、敵将を探していた熊谷次郎直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。敦盛が取って返すと、直実は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、我が子直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇する。直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、直実は涙ながらに敦盛の首を切った。"
写真は敦盛草(アツモリソウ)。敦盛は死んで花となったのである。
アツモリソウ(敦盛草): "学名:Cypripedium macranthum var. speciosum
花期:春
山地の草原に生える多年草で,茎の先に直径 3 〜 5 センチの淡紅色の花をつけます。唇弁は袋状で大きく,これを平敦盛が背負ったほろ(母衣)に見立てたものです。なぜ平敦盛が出てくるかというと,熊谷直実が背負ったほろにたとえたクマガイソウ(熊谷草)との対比です。"
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